昨日は、青山で行われた「故 真樹日佐夫 偲ぶ会」に行った。
地下鉄乃木坂駅を出たら、
大人しそうな礼儀正しい若者が腕章を付けていて、
場所を案内してくれた。
会場には色々な業界人が沢山来てて、
流石に、故 梶原一騎さんの弟で、
空手の世界でも有名な人だったな、と思った。
きちんと受付で署名し、香典を・・・。
(んんん、全くヘタな字である)
受付の人は御丁寧に御礼の言葉を頂き、
「↓」も・・・。
だが、何も引替えせず、
会場の中をウロチョロしてきた。
茶髪のオニイチャンとか、
私服警官とか居て、
こういう人たちも門下生なのかな、と思って、
冥福を祈ろうと、
遺影とか飾ってある方に行ったが、
既に大勢の人たちで満杯だったし、
私は会場を後にした。
「↓」で何に引替えなのか、
別に、
そういうのを頂きに行った訳ではなかった。
私の亡き実父は漫画家・・・。
梶原一騎さんは原作者・・・。
何だか昔に揉めた事があったと聞いていた。
それをお互いの野球チームで、
勝敗を決めたそうである。
実父は「勝った」と言っていたが、
それが事実なのかは分からない。
ただ梶原一騎さんは、
最終的には実父を立ててくれたようである。
かつて真樹日佐夫さんも、
当時も兄弟合体セットだったようなので、
色々な事を知ってるならば聞きたかった・・・。
前に真樹日佐夫さんの忘年会では、
色々とお忙しいようでお話する事が出来なかったし・・・。
ただ真樹日佐夫さんと同日に死去した日本冒険小説会長で、
お笑い三人組、トリオ・ザ・パンチの内藤陳さんとは、
ゴールデン街の深夜プラスワンで何度か、
実父の事など聞いた。
昔、実父が超売れっ子漫画家当時、
色々な雑誌にトリオ・ザ・パンチとグラビアページを飾っていた。
こんな私にも、
「お笑いを教えようか?」
とか、
「マッドマックス? あんな礼儀も知らん雑誌にジローくんも留まってたらいけない。
もっと上を目指しなさい。
そのための努力を惜しまない事、
そういう才能がキミには備わっている!」
とか色々なアドバイスを頂いた事があった。
伝説の彫師・初代梵天の話や、
林家木久蔵(木久扇)さんの話や、
実父の弟子の漫画家・高信太郎さんの話なども色々とした。
去年の夏頃だったかな、最後にお会いしたのは・・・。
体調が悪い事は知っていた。
もっと長生きして欲しかった。
私も北方謙三さんとか馳青周さんのハードボイルな本が好きだったし・・・。、
それでお別れ会に行ってきた。
場所は文京区の椿山荘・・・。
ここでは色々と人様には言えないような思い出もあって、
久しぶり・・・。
ちょっと開催までの時間が早かったので、
カフェに入って「↑」を注文し、
飲んで食べて待ちながら、
頭に浮かんできたのは、
よく関西の人が来た時に、
ここで部屋を借りて、
商談した事とか・・・。
それにしても綺麗な庭園で、
暫く眺めていた。
開催会場に行ったら「↓」が書かれてあった。
それでもスタッフで知り合いの人が居たから、
少しばかりの香典を渡そうとしたら、
「受け取れません!」
と言われてしまった。
内藤陳さんは生前にも、
「世の中、金も必要だが、金以上に大切なものがある!」
というような事をよく話していた。
何だか、そういう人が今では少なくなった。
しかし、そうした内藤陳さんも死去し、
大勢の著名人が集まっていた。
やはり内藤陳さんながらの人物を好む人たち・・・
作家さん、出版社さん、お笑い、映画関係・・・。
私は思った。
私が亡くなった時は、如何なのかな、と・・・。
二次会の宴会には参加せず、
私は娘の所へ帰った。
娘は甘えん坊で、
私が居ないと寂しがる・・・。
何処へ行っても、
「可愛い娘さんですね」
と言われるので、
私も張り合って、
時に一緒にオチャメしている。
寝るときも娘は私の横で、スヤスヤと・・・。
嫁は風邪気味だし、
今は殆んど2人の世話したりしながらも、
何とか時間を作って、
原稿書いたり、打ち合わせしたり、
埼玉へ帰ったりしているが、
私は常に本物の「漢」という存在を追及したい。
それで御2人の会へ行って来ました!!!