・・・的なコメントがブログ内に色々な方から書かれてもいる。
前々からと前回の日記にも「与平さん」は書いてくれているが、
確かに今は本を出版する事自体が超厳しい時代になった。
安部譲二さんとは前にも雑誌の企画で対談の記事が掲載された。
トークイベントでも、安部譲二さんを中心的に新宿ロフトプラスワンで、
「塀の中で懲りちゃった面々」というのを催した事もあった。
もう1人、1人のゲストさんが、主役で登壇しているような方々ばかりで、
異例的なイベントだったとされている。
特に故・三浦和義さんが死去する、ちょっと前の登壇・・・。
安部譲二さんが府中刑務所に服役中、当所の機関誌「富士見」に、
入選作品が掲載されているのを私が服役した際に集めて、
1つの冊子として工場の棚にしまった。
安部譲二さんの本も、何冊か読んだが、その中に、
「選考委員が、どういうものを求め評価するか、
まず自分で自信を持っている事を書けば書きやすい・・・云々」
という様な事が、それで私は服役中に「富士見」や、
全国の刑務所に配布される「人」誌などに投稿するようになった。
富士見には書くたびに優秀作品として掲載され、
人誌でも佳作入選した。
次に徳島でも人誌に入選し、
最後の京都でも・・・。
京都では故・見澤知廉さんの本に影響を受けた。
彼は物を書く事を1つの政治的な活動として、
理不尽な世の実態や今後の日本を如何にするか、
という事を世間の方々に伝えたかったのであろう。
それで私も作家に成ろうと決意を固めた訳であった。
安部譲二さんの場合だと、
かつては故・三島由記夫さんの「複雑な彼」という題名の本のモデルにもなり、
安藤昇さんの系統に繋がる愚連隊として、
又、暴力団の組長にもなった。
もともとは著名な方の一族として育ち、
優秀な学校にも通っていた。
敢えて書かなくとも、色々な経験をして暴力団を辞めて本を出版し、
かつて所属していた暴力団の方々も応援した様であった。
故・見澤知廉さんの場合だと、関係する政治団体とかも・・・。
もともと1冊の本を出すまで10何年も同人誌などに、
作品を書いたりしていたとも聞いている。
とても頭脳も優秀で相当に勉強した事であろう。
私は小中学生の頃から勉強も苦手で、
卒業時の通信簿はオール1・・・。
ただ服役中には難しい本を読んだり、
出所後も一時的に創価学会で宗教哲学を勉強した。
暴走族や暴力団、刑務所の事なら勿論の事、よく知っている。
それで京都を出所後に、そうした部門の事を中心的に物を書くようになった。
しかし、私が所属していたのは超マスコミ嫌いで有名な武闘派組織・・・。
それでも私は故・見澤知廉さんの所へも、
色々と教えを受けたいと思い、
手紙を出したり、メールを送ったりしていたら、
お亡くなりになり、
偲ぶ会への参加を促す1通のハガキが私宛にも届いた。
図々しくも参加し、府中刑務所で一緒の工場だった赤軍派の塩見孝也議長と再会し、
故・見澤知廉さんが所属していた民族派団体一水会や、
統一戦線義勇軍の方たちとも親しくなり、
勉強会や街宣活動、日本国憲法のデモなどにも参加するようになった。
故・野村秋介さんの門下を中心とした冊子「燃えろ、祖国」にも、
「見澤知廉の遺志を継いで」とか生意気ながら書いた事を掲載して頂いた。
ただ私には私の考え方や意志を持っての継いでである。
今は何かしらの団体に所属して確実な発売部数、
過去の本の売れ行き、
そうしたメドが付かなければ、
本を出すのも難しい時代となった。
色々な企画はあれど、私は営業ベタでもある。
それでも何とか4冊の本を世に出した。
5冊目も3月頃には出せる事だろう。
「歌舞伎町チンピラのココロエ(第三書館)」の場合だと、
殆んど手直しは無かった。
次のは、
ちょっとオーバー的に自分のバカさを書いてはいるが、
ほぼ内容的には実話であり、自分で読むと呆れて苦笑・・・。
未だ「これはヒットするな!」という持ちネタもあるが、
私が指導を受けてる関係の人は、
「まず自分で10万字ほど書いて・・・」
と、なかなか厳しい方々で、
書いても無駄になる事もあれど、
「書きなさい」と・・・。
売り込み、持ち込みを禁じる出版社もあるし、
何だかんだと、やはり学歴社会・・・。
「それなら本になりますよ!」
と集めた資料はマッドマックスに紛失されたし、
私自身の資料も、
他の出版社に預けたまま帰ってこない。
企画を提出しても却下されてるのに、
何故か似たような企画が本とか雑誌に掲載されてたり・・・。
これは某マスコミ関係の人に聞くと、
「ああ、企画泥棒ね。よくある事だよ」と・・・。
こうした物書きの世界も、
潰し合いとか、
こっちで書いた方が売れる、
とか、
アイツには世に出て欲しくない、
とか色々とあるようだ。
私的には欲が無い方なので、
色々な人を同業者に紹介してきたが、
その人たちから殆んど紹介はされてない。
紹介した側は何とか儲かっている様だが、
それでも私は良いと思っている。
そうした事が、いずれは自分に返ってくると信じたいから。
少なからず「与平さん」は、
こうしてファンとして応援してくれている。
他にも直接、
「ファンです」
と言って私のイベントにも来てくれる人たちがいる。
その人は誰が見ても、
不良とかではない。
大体、私の知る限りのファンは、
如何にも不安だらけの人が多い。
「中野ジローをナメたら、許さん、何処のヤツでも、
ボコボコか、イテもうたる!」
と言うので私は、
「そういう事は言わないでね」
と・・・。
それでも実際に色々な暴力事犯や殺人とかで、
服役してしまうし、特に長期刑で・・・。
私にとって服役先から、
応援、激励の手紙を頂くより、
シャバでの方が嬉しい。
だが、私にも多くの敵は存在している。
過去の恨みから、
何度も書いてるクソ岩崎の野郎の関係から、
何やら暴力団を辞めて、
自由な身となり、
一応、美人と言われる嫁さんを貰って、
ノウノウと麻布と埼玉で暮らしてる事や、
ヤクザモドキのライターとか、
如何にも嫉妬と思える事を感じることもある。
直接会えば、
「応援してます」
とは言うけれど、
実際には知らぬ間に人脈を取られたり、
私が色々と裏事情を聞かれたら教えても、
逆のパターンは殆んどない。
それでも私的には持ちネタは豊富だし、
余裕でいるが、
どうしてもお調子回りも、
営業も苦手なので、
団体とかに加わるのも嫌だし、
こうした与平さんの期待にも、
なかなかと応えられないでいる。
だが、いずれはモドキより本物が求められる時代が訪れる事だろう。
もう世間の方々も、
不良とかのカッコいい話より、
バカなズッコケ話とか、
そういう本当の事を知りたいのではないのか?
私自身も自ら経験し、
実際に多くの事を見てきた。
新宿の某組長は、
「ヤクザも死ねば世間からは3年程度で忘れられるが、
もっと俺は長年に渡って語られる漢に成りたい。
ジロー、いずれは俺の本を書いてくれな!」
と言っていた。
確かに某組長は、
東京で成功したが後に失敗し、関西に行って成功して再び東京で成功した。
関西から東京で成功する事は多くても、
東京から関西で成功するのはヤクザ業界では稀なケースである。
又、
関西でヤクザ時代に随分と恐ろしい生き方をしながら、
大親分になり、本来なら組織から絶縁されたのに、
異例的に除籍という形に変わった木崎進会長は、
「わしの事はな。進ちゃんと呼んでくれて構わんよ!」
というほどの度量を持った御方・・・。
余程の自信が無ければ発せない言葉である。
実際に今はアウトロー誌や、
暴力団や愚連隊などを雑誌で取り上げるのも厳しい状況に成っている。
それは何故かという事に多くの方々に考えて頂きたい。
何故、マスコミにも色々な規制が強化されるのか、するのか?
世間一般の方々は、
本当の真実を知りたがっている。
知れば不安になる事も、
不愉快に感じる方々もいる事だろう。
私は著名な人が書いたから売れるのではなく、
如何に無名でも売れるようにするのか、
だと思っている。
実際、最初から有名だった人は少ないし・・・。
私の場合だと、如何に私を理解して頂けるような良い編集者と巡り合えるか?
とも言われるが、そうそう私も扱い辛い厄介な男である事は自分でも承知している。
所詮、暴力団を辞めたと言えど、
不良っ気は簡単に抜けないし、反発心も強いから・・・。
自分に素直でバカ正直が災いとしているのか?
ただ私は単に一時的に売れれば良いという問題でもなく、
今後のマスコミ業界が如何に、
著名な人物を新たに輩出するかではなかろうか?
それには確かに色々な団体とかの関係もあるだろうが・・・。
私も与平さんの様な方のお気持ちに応えられる様な作家になるためにも、
まだまだ頑張らなければならない。
なかなか今は子育ての問題もあり、
私が地方に取材とかに行くのも、
書くことにだけ没頭出来ない事情もある。
こんなバカな私を何故に嫁は夫に選んだのか?
「1億円と俺と、どっちが良い?」
と聞いても私だと言う・・・。
ホンマかいな? 全く女の気持ちは分からない。
ノーセックスで互いに身体を触りもせず、
嫁は嫁で娘とイチャイチャし、
私は私で娘と友達みたいで、
何じゃろ?と思うが、
とりあえず物書きも体力勝負なので、
肉体が衰えない様に、
又、
風邪とか引かないで、
健康に気を付けなくては!!!
無駄にチンチン君は元気です・・・・(汗)
(まったく私がパソコン打ってるのに、この娘には弱る・・・)