平成14年2月22日、私の実母は心筋梗塞で亡くなった。
それを知ったのは私が同年の3月末にパクられ、4月の裁判で弁護士から知らされた。
実母とは、平成4年頃に言い争いになってから会ってはいなかった。
言い争いは、
実母が私に、
前科者!
と言ったので、
てめえも、賭け麻雀とかしてて、ただパクられてないだけじゃねえか!
てめえらの都合で、俺は小学生の頃から何回、姓が変ったと思ってる!
とか色々と文句を足れて、
以後、互いに連絡も取らず、私は実母が住まいを変ったため、
何処に住んでるかも分からないでいた。
後になって、実母は実母なりに苦労した事も分かってきて、
会いたいという気持ちも沸いてきたが、
そうした状況では会いたくても会えなかった。
弁護士は情状証人とか、
そうした事で私の両親の事を調べていたのだろう。
そして、私は京都刑務所で服役する事になり、
所内で実母との思い出を「瞼の母」というタイトルで、
全国の刑務所に配布される「人」誌に投稿したのが、
佳作入選になった。
それで少しは物を書く自信にも繋がって、
作家になろうかな?
と思って、
出所後に「刑務所ぐらし(道出版)」を発刊。
それから
「刑務所の奇人変人(道出版)」
「歌舞伎町チンピラのココロエ(第三書館)」
「裏社会 噂の真相(彩図社)」
を発刊し、何とか人様から「作家」と言われるようになった。
実母は死去して、遺骨は実母の彼氏が自宅に保管していた。
彼氏とは実母と入籍した関係ではあったが、
こいつは、元々は実父の腰巾着・・・。
何だか学生運動のリーダー格で、
立派な会社の社長で、
何やらの選挙にも出るような人でもあったが、
元の学生運動の仲間に裏切られ、
会社を乗っ取られたとかで、
仕事を失い、
カラオケのリース業を始めたけど失敗し、
それからタクシーの運転手になった。
私は服役を終え、彼氏に連絡を取ると、
実母の姓、中村という名前で個人タクシーの運転手していた。
実母とは生命保険の関係もあって、
入籍したとは言ってたが、
生命保険は会社がインチキ会社で、
一銭も貰えてない、
との事だった。
普通、インチキ会社であれば、
詐欺にあったとして民事訴訟でも起こしている筈・・・。
保険料の支払い書とかも見せて貰ってない。
所謂、彼氏の方がインチキ野郎だったとしか思えない。
前々から、
ボクはキミのお母さんしか信じてない、
と言ってたが、
実はお金しか信じてなかったのだろう。
とりあえず当時は未だ私もヤクザだし、
事を荒立てないで、
何も、
あ~じゃ、こうじゃ、
を言わずに、
実母の遺骨を愛知県の母方の先祖代々のお墓に埋骨しようと、
母方の親戚が住む愛知県に行った。
実母の姉が、
東京に行った妹は東京で何とかしなさい、
と言う事であったけど、
2度目に愛知県へ行ったら、
実母の姉のダンナさんが、
母方の親戚代表でもあり、
漸く許しを得て、
先祖代々のお墓に実母の遺骨を埋骨してくれた。
その後も私は取材で何度か名古屋には行ったが、
実母のお墓参りには行っていない。
実母の彼氏は、
私が電話を掛けても出ない(新宿西口に住んでるけど、部屋は分からない)。
まあ、彼氏も実母が夫として選んだ相手だし、色々と訊きたい事もあるが、
そうした事は今の所は、如何でもいい。
ただ私は実母のお墓参りに行きたい、行かなくてはならない。
実母にお墓の中から娘を見て欲しい。
今、私は関西から愛知県の方に、
取材や愛心会の活動の事で呼ばれているし、
仕事が一段落したら行くつもりでいる。
それでも問題なのは娘・・・。
娘には、
もれなく嫁が付いてくるし、
嫁も一段落しないと行けない。
私は嫁に付いてくるな、
と言ってはいるが・・・。
ゆえに何とか嫁を置いて、
という事を考えている。
この嫁というのも寂しがり屋だし、
バカな私を夫に選んだ所とか、
実母に似ている。
実母の親戚側と仲良く出来るかも心配だし、
そう嫁に言うとスネるし・・・。
実母の親戚とは、
たまに電話しているが、
私の事を今でも子供の頃と同様で、
ジンジロ、元気かい?
と言ってくれる。
子供の頃から私は、
実母の親戚には可愛がられていた。
ただ愛知県に行くと嫌がるのは、
今は亡き実父の親戚と、
実父の愛人・・・(これ、人妻)。
実父の遺産を、
こいつらが一人締めしようとした事も関係している。
未だに実父のお墓の場所も教えないし・・・。
要するに人間は金の事になると、
汚いヤツが多い。
特に実父側は一族の中でも、
売れっ子の漫画家になり、
一番の稼ぎ頭でもあった。
それでも実父側の祖先は百姓・・・。
実母の祖先は、名門橘家と関係もあり、
尾張榊原家にも繋がっている武将・・・。
別に私的には百姓をバカにもしてないが、
愛知県という所は、
祖先が、どうじゃら、こうじゃらと気にする土地柄みたい。
実母は小学4年生の時に、
名古屋でも有数の呉服屋を営む両親を病気で失い、
以後は、兄弟姉妹で苦労をして育ち、
何やら実母は16才で着物のモデルをしている時に、
中日新聞社で勤務していた27才の実父と、
パーティ会場で知り合い結婚したとか・・・。
以後、実母も実父も離婚したり、再婚したり、別の人と結婚したり・・・。
私は親は親、私は私という形で育った。
小遣いが欲しければ小学生時分から新聞配達をしたり、
中学生になると恐喝や悪さして自分で稼ぎ、
卒業後は親元を飛び出した。
物書きになるにも、
親のコネは使ってない。
親から誰も紹介をされてない。
ただ実父の弟子である故・はらたいらさんや高信太郎さん(奥さんに)に電話して
実父と仲良くして下さい、
と頼んでいた。
故・はらたいらさんの腰巾着とは何度かお会いしただけで、
故・はらたいらさんの葬義には、
私自身が香典を持って行ってきただけ・・・。
逆に実父から出版の相談を受ける事が多かった。
何だか自然的に私も実父と似たような方面で、
今は仕事をしているが、
これも血筋というやつか?
どちらかと言えば性格的にも顔も、
私は実母に似ている、
そうだが、
娘も同様・・・。
実母の親戚側には、
娘の事も可愛がって欲しい。
実母側は子供好きでもあったし・・・。
要するに親の身に成れば、
自分の親の事も少し分かるようになる。
分かるようにならなければいけない。
最近でも、親が自分の子供を虐待したとか、
殺したとかという事件が増えている。
親に対する恨みで他人様が、
その親の子供を殺したとか・・・
そうした事は本当に許せない。
如何なる理由があれど、
子供は親だけのものではなく、
お国の宝なのである。
私の娘は箱入り娘で、
腕白、イタズラ好き、だけど、
これほど可愛い2才の女の子が居るなら、
出て来い!
という私は親バカだが、
何とか暴力団も離脱し、
実母の親戚側にも、
堂々と会えるようになった。
さて、後は如何に時間の都合と、
今の仕事と嫁の問題を片付けるかである。
後々、愛知県方面に行く時は、
そっちの友人にも連絡するので、
色々と宜しくお願い致します!!!
(私、名古屋市天白区で生まれ、
一時期、名古屋の中村区に住み、重量鳶の会社に勤め、
主にトヨタの工場で作業してました。港の方ではお祭り行ったり、色々と遊んでた。
実父が生前に、愛・地球博でイベントしてた時には私も同行したけど、
ああいうのに娘を連れて行きたいな・・・と思う今日この頃です!)
(んんんん、名古屋にも江南ブラックエンペラーというのが存在していた!)
(愛知狂走連盟のOB、何とかのシッポとかのリーダー格で、
元自衛隊員で千葉の拘置所で私を「兄貴~!」と呼んでた人とか、
色々な諸君、元気してますか?
特に徳島や京都刑務所で一緒だった人とか・・・!!!
皆とも会いたいものですね!