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2008年7月、私の父親は80歳を前にスキル性胃癌で死去した。
その何ヶ月も前から名古屋の愛人さんが、
「ジローくん、お父さん、食事も喉と通らなくなって・・・」
という連絡があった。
「従兄弟でも何でも良いから、オヤジが嫌だと言っても、病院に無理矢理でも連れてって!」
と言い、そして、病院に行ったら残命二ヶ月と・・・・。
愛人さんは泣きながら電話口で、
「ジローくんのお父さんだものね。お父さんに何かあったら直ぐに知らせるから・・・」
と言ってたが、
死去の知らせが届いたのは、
死去して1時間数十分経ってから・・・・。
その三日前から愛人さんに電話しても出なかった。
おまけに従兄弟も・・・。
既に葬義は静岡の後妻を中心に決っていた。
後妻は先妻の子である私の事を嫌っていたのも知っている。
父親と対して変らぬ年齢で子供もいない。
しかも静岡には、
もう一人の愛人さんがいた。
この愛人さんとは、
私は葬義場で始めて会った。
名古屋の愛人さんとは、
私も何度も以前から会ってはいたが、
父親も年齢が年齢だし、
夫や子供が居たから、
まさか、愛人関係だったとは・・・。
葬義場では、
後妻に並んで名古屋と静岡の愛人さんが仲良く談笑していた。
所謂、皆で父親の遺産的作品狙い・・・。
それに対し何も言えない従兄弟や父親の弟とか・・・。
数ヵ月後、
「後妻が来て、未だ名古屋に残ってる作品を取りに来て!」
と私のもとへ連絡してきた従兄弟・・・。
そう血筋的に父親の物に手を出さない様にするのは、
後妻以外には私しか居なかったからである。
私は父親の遺作とかを金にする気はない。
ただ私は遺作を再び世に出す事が出来る立場にいる。
それだけの協力者も私の周りには存在している。
生前、父親は遺作が後妻の手に渡れば無駄になると私に言っていた。
名古屋の愛人も、父親の遺作を再び生かせるのは私しか居ないと言っていた。
結局、こやつらは、父親の遺作狙いだったのか?
後妻と共に葬義場でニコニコしてた静岡のギャラリーの社長らも・・・。
私は金など普通に暮らせればいい。
たとえ色々な圧力とかで物書きの仕事を全て失っても、
私は負けはしない。
悪さしなくとも収入を得る手段は知っている。
物を書く仕事も自力で何とかしてみせる。
実際、物書きの世界に入ったのも、
誰のコネを使った訳ではない。
もっと金儲けする手段も知ってはいる。
大して物書きの収入など知れている。
だが、敢えて私は物書きの道を選んだ。
色々な理由があるが、
一つは父親の果たせなかった、
父親の知らなかった、
父親の息子としても、
書き残さねばならぬものを伝え残すこと・・・。
金や欲望は人間を変える、変えてしまうほどの、
恐ろしい力を持っている。
私は、
どれだけの年齢に成っても、
たとえ嫁や子供が居ても、
私は私で変らない、変りたくない。
良い意味では変らなくてはならないが・・・・。
そう私は父親の子供として生まれ、
今は中野ジローとして生きている、生き続けていく。
私が父親の死去で味わった悔しさ・・・。
今までも多くの悔しさを乗り越えて生きてきた。
今では私に悔しさを感じてる者たちも多い事だろう。
所詮、私は生まれた時に、
医者は、
「育たない」
と言われたが、
私は育ち、
「いつ事故で死ぬか、殺されるかも・・・」
という世界で生きてきた。
だが、悔い無き人生を送りたい。
もうすぐ父親が死去して五年が経つので、
そんな風に思って書いた今回の日記・・・。
私は私の信念を曲げず、
キチンとした方の指導を受け、
良い仲間たちに恵まれ、
今日という日を生き、
明日を生きる。
2チャンで何か書いてる?
ただアホクサ野郎だと思ってるだけ。
つまらんヤツが世の中には増えたものである。
私は何処へ行っても、
腐れ果てても中野ジロー!
そう簡単には腐らんが、
腐らせられるものなら腐らせてみなさい。
父親は女と過去の栄光に溺れて悲しく亡くなったが、
私の心の中には父親の意志と、
今は亡き母親の意地と、
仲間たちの思いと共に
強く残っている。
父親よ、母親よ、
あの世で仲良くしてるか?
ウチの娘を抱きたかったか?
私は嫁と仲良く、
娘の将来を考え、
キチンと良い方向へと育てている。
心配せず、
あの世で見届けていてくれ、
必ず私は、
私の使命を果たしきれずとも、
前向きで倒れてみせるからね!!!
(で、父親のお墓って何処よ? 全く父親側の親戚は私以上にロクなモンじゃない!!!)
(従兄弟の名前は「真人」というが、真な人ではない)
(お~い、私が名古屋行っても逃げるなよ~!貴様も元暴走族の頭だったクセしよって!)
葬義場で