昭和52年、杉並区井の頭通りの通称「三水」という所で
暴走族・関東連合最後の集会が行われた。
総仕切りを執ったのは私が一番憧れている先輩だ。
原宿表参道で他所の暴走族をボコボコにした事件で
逮捕状が出てる身でありながらも私たちの前に現れて言ったのである。
「途中で警察に追われ、ケンカが起きて逃げ帰るもんわ、この場から帰れ~!」
周囲には総勢500台以上に及ぶ単車が勢揃いしていた。
四輪の数まで含めれば相当な数である。
当時の関東連合はブラックエンペラーを主体とし、
他の小規模な暴走族チームが集まる連合体であった。
集会の参加者は何千人という数・・・。
皆でワイワイガヤガヤと騒いでいたのが、
その先輩の一声で一瞬にしてシーンと黙り込み座り込んだ。
勿論、周りには交機のパトカーなども数台が私らを囲んでいた。
それでも先輩は堂々と姿を見せたのである。
その後、先輩はパクられ少年刑務所へ送られた・・・。
現在でも私が一番尊敬し憧れている先輩だ。
中野ブラックエンペラーの結成を承認してくれた先輩でもある。
刑務所を出所後は暴走族を引退し、
自身で苦労を乗り越え事業を初め成功者となった。
以後は私がヤクザになり、
シャブを食ったり、
あらゆる悪事に手を染め
何度も刑務所に送られても見捨てることなく
面会や差し入れに来てくれた。
裁判で情状証人として法廷に立ってくれたこともある。
いつもバカな私を叱咤しながらも
「自分に負けるな、頑張れ!」
と励ましの声を投げ掛けてくれた。
その先輩が居なければ今の私は存在しなかったであろう。
ゆえに現在では「関東連合」を名乗る連中が
様々な事件に関与していることで嘆かわしい。
各自、ケンカや詐欺、窃盗ばかりか、
芸能人を攫って
恥ずかしい写真を撮り恐喝をしたり・・・。
そうじゃない。
関東連合は他にも色々な暴走族を結集した連合チームの中でも
硬派で弱い者苛めや恥となる事件を禁止し、
ヤクザのケツ持ちも必要がないくらいパワーがあったんだ。
そりゃあ、生意気そうな芸能人をからかいはしても、
暴行など加えなかった。
それぞれ個人であってもプライドを持ち
くだらん、たまにしか集会に来ないような先輩などは
先輩とも思わず居直るほどだ。
今回の事件も事情は知っている。
まったく情けない。
きちんと関東連合のOBとして
後輩たちを指導教育をしなかった私らの責任でもある。
世間の方々に対しても本当に申し訳なく思う。
その尊敬する先輩の意志を継いで私が勝手ながらもOBを代表し、
ここに彼らを教育するために「元祖・関東連合」の結成を宣言する。
例え法の規制が厳しくなれど
暴走族や愚連隊の存在は無くなりはしないであろう。
だが、まだ不良としての美学があったことを忘れてはいけない。
又、忘れさせてはいけない。
幾ら不況の煽りで金や利権が欲しくてもやってはいけないことがある。
それを今回の海老蔵さん暴行事件を機会とし、
当時の関東連合を知る一人として彼らに伝えたい。
まず男なら、例え悪事に手を染めようが
潔く覚悟を持って生きようではないか!