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Channel: 中野ジローの暴走日記
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ブラックエンペラーの歴史

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・・・というのを岩崎はよく知らない。幾度か集会に出てただけだし、蛯澤は頑張っていたけど、本気で暴走族に夢中になってたのは期間的には短かった。

遠藤さんも雑誌で書かれてた様に「遊びだった」と思っている。

そうした人たちで作られた商店街の中の歴代総長です。

詳しい事は古い頃の雑誌などで取り上げられてもいるし、今でも殆どのマスコミ関係者は知っている。

私らは決して遊びというだけではなく、当時の時代、大人たちに対する不満、反発を爆発させる集まりでもあった。

要するに学生運動的なものだったと言える。

若者たちが暴走族という形でエネルギーを燃やした時代でもあった。

多くのメンバーたちが、ただの遊びで死んだ訳ではない。

まあ、彼ら商店街もお金儲けではあれど、私は金を儲けるにも、仲間たちや関係者の事もよく考えて上手くしなければ評判は落ちる。

分からない様になら別ですが、商店街は公に作られているからね。

それで人気を得た者が居ても別に私は構わない。

ただ本当の人気とは何かをよく考えて頂きたい。

確かに宇梶くんは強い人気を得ている。

それなりに蛯澤も人気はある。

彼らは弱い者、後輩苛めをしなかったからだと私は思う。

そりゃあ、弱い者、後輩にも色々な人がいる。

苛められても仕方ない様な人もいる。

ただ私らの頃は苛め方というのを知っていた人たちが多かった。

その後のフォローの仕方を教えられた。

それを知らない人も多いには多かったが・・・。

そうした事は私も何度か苛め問題をテーマにしたイベントにゲスト登壇して喋った。

ゆえに敢えてブログでは今は書かない。

私などは悪口や中傷されても仕方ない生き方もしてきた。

散々と悪さしてきた身の上だからね。

ただ今でも思うのは弱い者苛めを余りしなかった、後輩たちにカンパも止めさせた。

それでも私を嫌う後輩もいるではあろう。

しかし、そんな私だけど、

今でも私を慕ってくれる後輩たちがいる。

刑務所の中でも、

人種差別や弱い者苛めはあった。

それが私は嫌いで止めさせた事もある。

例えば中国人のケースだと、

「彼らは日本で悪さはした。それでも強制送還される。他国の人間だからと差別されて嫌な思い出も持っている。しかし、最後くらいは良い思い出を持って他国に行って欲しい!」という感じだった。

変な弱い者苛めばかりしてると、必ず最終的には良い結果は訪れない。

いつか弱かった人が逆転して強くなれば逆襲される。

恨みは決して消え去るものではない。

私の事を多くの人たちが恨んでいるのも知っている。

逆恨みというのを胸に抱いている人もいる事だろう。

私に対しての悪口中傷に惑わされている人も・・・。

敢えて私は無理に人気を得ようとは思っていない。

私の生き方は簡単には理解出来ない事でもあろう。

又、簡単に理解されたら人間はお終いでもある。

「アイツ、何を考えてるのか?」

と思われいるのが丁度良い。

人間は底が知れたら最後ではないかな?

昔、安部譲二さんをモデルに故・三島由紀夫氏が、

「複雑な彼(そんな題名だったと記憶している)」という本を書いた事があった。

以前、安部譲二さんは新宿ロフトプラスワンで、

私が主催した「塀の中で懲りちゃった面々」というトークイベントにゲスト登壇して頂いた事がある。

実話マッドマックスでも対談した記事が掲載された事もあった。

安部譲二さんは私に、

「キミは酷い刑務所ばかり、アチコチ送られてるね」と言っていた。

確かに再犯長期の徳島刑務所、しかも暴動騒ぎが起きた工場、

関西ヤクザも嫌がる京都刑務所、しかも「鬼の廣田」と名称も付く担当看守で「恐怖の木工場」とも呼ばれていた。

その木工場では大事な役割でもある作業班長を務めていた。

私は中学卒業後、親元を離れて、オンボロアパートに住み、

悪事に手を染めながらも、色々な職業も経験し、

政治漫画の走りとして活躍する実父・森哲郎の影響もあってか、

政治にも関心を抱く様になった。

実父は社会問題に取り組んでもいた。

名古屋で行われた「愛・地球博」という万博では、

環境問題のイベントを実父は行った。

私は高学歴な人間ではない。

それでも創価学会の会員時からも、

多くの高学歴な人たちはお付き合いしてくれた。

刑務所の中でも色々な事を学んだ。

パソコンも独学で覚えた。

今は亡き川村伸一親分も口煩く厳しい人だった。

後の親分も・・・。

ブラックエンペラーの先輩たちも厳しかった。

やはり暴走族時代、少年時代、成人を過ぎてからも、

如何に生きて、生き様としてるかは結果として現れる。

私は物書きを職にはしてるが、

某出版社の方は、

「少年時代から、又は大学や専門学校を通ったりした訳ではないからね。変に文体とか気にし過ぎないで惑われず、肩の力を抜いて自分で書く事が大切ですよ、キミは色々な事を経験してきた。経験から身で得た知識、それをよく生かさないとね!」と教えられた。

たぶん私は他の物書きの人よりも何度も何度も時間を費やして原稿を書いていると思う。

〆切り遅れが無い様に、早めに書いて送る様にも心掛けている。

全面的に書き直しなどもあるから・・・。

そうした悔しさにも慣れている。

我慢、意地・・・男には必要だと教えられもしたが、

ここで妥協という事も・・・。

今、私は嫁と娘が居るけれど、

嫁は自分では口にしないが、

私などとは比べ様もないほどの浮き沈みを経験してきた。

海外で嫁は暮らした経験もあるが、

やはり人種差別は経験した事であろう。

富山県から嫁は1人で上京した。

私は決してお金持ちではない。

余り物欲も強くない。

そんな私を夫に選んだ。

後に何とか娘も生まれ、

嫁と共に暮らしている。

私などは常に危険な身に置かれており、

又、敢えて危険度の高い取材も行っている。

いつ何が私の身に生じるかは分からない。

それでも私は中野ジローとして生きる。

元々がマイナスからのスタートで、

苦労などには負けず、

我が道を貫いて、

結果的にマイナスばかりに成っても恐れない。

私など騙そうが殺そうが何も得などしない。

死ぬ時には死ぬ、それは自分では如何にも成らない事でもある。

ただ娘よ、私に何が起きても、

嫁と共に幸せな人生を送って欲しい。

アホクサな男など相手にしないでね。

そう心から願う次第です!!!

Photo

(実父の絵)


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