・・・と思いたいのは何処の父親も同じだろうか?
まず娘は何事も自分でやらないと気が済まない。
この服を着させても、自分で服の紐を結ばないと気が済まない。
それでも最終的には私が結んで上げた。
このオモチャのバケツに飲み物を入れて豪快に飲む。
私は余り豪快には飲まないので、
それはワインやシャンパンを豪快に何本も飲む嫁に似たのかも知れない。
先日、新宿でお会いした海外の語学の先生から頂いたチョコレートを娘は箱から出しては、床に1つずつ並べて、、また箱の中に入れるを何度も繰り返していた。
チョコレートは「ヨーロッパの味がして美味しい!」と嫁は言っていたが、
私は何がヨーロッパの味なのか分からない。
嫁はヨーロッパ方面にも行った事があるから、
そうした事を知っているのだろうが、
娘はチョコレートが好きなので喜んで食べていた。
私や嫁もチョコレートは好きで、
我が家には欠かせない物です。
いずれにせよ、娘は甘えん坊で直ぐに私の上に座るが、
すると何か企んだ様な顔をするのは、
何故か私には分からない。
たぶん如何にイタズラをするか、
私が娘のいう事に何も逆らえないのを知っているからか?
私の両親も、
今は亡くなったが生前には
「ジローには逆らえない!」と言っていた
私は幼少の頃から、
両親に叱られても、
納得がいかないと、
夜中に寝ぼけて枕を叩いてたそうである。
娘は納得がいかないと、
夜中とかでなく、
その時に暴れるか泣き喚くのは、
嫁に似たのかも知れない。
私の両親も、
何かあれば、
どっちに似てという事を言っていた。
やはり子を持つと親の気持ちが分かる。
確かに私は親不幸ばかりしてきたが、
以前、沖縄で私の両親をよく知る「伝説の彫師・初代凡天太郎氏」は、
私には「親孝行など考えず、子供孝行して貰いなさい!」と言っていた。
そう私の両親が幾度も離婚や再婚を繰り返し、
実父自身も「ボクは父親らしい事は出来ない」と口にしていたし、
実母は実母なりに私が出産時に医者が
「お母さん、この子は育ちません」と諦めを諭しながらも、
病弱な私を元気に育てはしたけれど、
「アタシは自分の事で精一杯だから自分の事は自分でしなさい」
という様な教育だった。
そのお陰で良くも悪くも私は何でも自分で決めて、
自分で行動をしてきた。
小学生時分の頃から、
お金が欲しければ新聞配達をしたり、
食事も自分で作り、
身支度も自分でしてたし、
物が欲しくても親に強請った事はなかった。
だが、娘には同じ様な育て方をしたくはない。
・・・というか、
私も嫁も親バカで何事も娘に服従してしまう。
嫁は「怒ると怖いし、可愛いから・・・」で、
私には娘が孫みたいで、
叱るにも叱れない。
外食に行っても、
何を頼むかは娘が優先ではあるけれど、
食事の好みは私に似ていて、
中華料理だと中華丼か麺類の場合が多い。
それでも娘に「何が食べたいの?」と聞いても、
頭の後ろに両手を回して、
「アナタたち親でしょ、親ならアタシが何を食べたいか知ってるでしょ?」という態度である。
兎に角、我が家で一番偉いのは娘である事は間違いない。
この娘が産まれてから嫁は精神的にも強くなった。
元々は子供嫌いだったのが子供好きになった。
前みたいに私に甘える事もなくなった。
ただ私は余り変ってないみたい。
変ったと言えば何事も娘を第一に考える事くらいかな?
それらは私自身ではよく分からない。
嫁は私を父親として恥ずかしくない様にと態度や言葉使いに厳しくなった。
私には「男を下げさせない」と言ってくれる。
娘に対して「恥ずかしくない親にしたい」とも・・・。
嫁は私よりも19才年下である。
以前は私に甘えてばかりいた。
それが母親らしくなった。
嫁らしくなった。
嫁と娘で我が家には男は私しかいない。
この二人の女を守るのは当然ながら私であるが、
嫁と私を守っているのは、
娘の笑顔である。
今は私も嫁も笑顔を絶やさない。
しかし、娘は私似の部分が多くて、
やや将来に不安を感じるが、
必ずや、良い子に育てたい。
大人になっても、
良い友達や仲間に恵まれる様に・・・。
そう心から願っている!!!
私が恵まれた様に・・・。